「飽きない人生」を応援する。

ベンチャーサポート

「飽きない人生」とは

「人生に飽きた」「つまらない」そんな風に自分の人生に覇気を感じられなくなってしまった人はいるでしょうか?

 

幸せかと聞かれたらまあ、幸せだと思う。不幸かと聞かれればそうでもない。

つまり刺激がなくて退屈している、ということなのでしょう。

 

刺激を手にして人生に飽きずにメリハリを持たせるためには、どんなことをしたら良いか。

 

新しい趣味を見つける・何か大きな挑戦をする・環境を変えてみる

 

海外に飛び出していくというのも一つの手段です。

 

見たこともない景色に胸が踊ることもあります。

海外には海外の思想があり、日本人とは全く違う考え方を持った人が沢山います。

 

そんな人たちに交じってしばらく生活していると、

日本とのギャップや初めて体験することが沢山出てきて、常に刺激を受けられます。

 

YAMADA SJ VENTURES,INC.は「飽きない人生」をサポートし、応援致します。

バコロド市について(wikipediaより)

バコロドは大きな港湾都市で、対岸のイロイロ市とは毎日フェリー便がある。船だとバコロドは首都マニラまで20時間、中部・南部の中心都市セブ市まで7時間。空港は、市街地から20km離れたシライ市のバコロド=シライ国際空港(2008年開港)で、マニラからは45分、セブ市からは30分で着く。バコロド港は、フィリピンで最も砂糖生産の盛んなネグロス・オクシデンタル州の玄関口であり、ネグロス島各地への陸上交通が発達している。

 

バコロドは平野部にあり、地形は海に向かって緩やかに傾斜しており、郊外ほど傾斜は急になっている。バコロドの中心広場シティ・パブリック・プラザは海から10mの高さにある。

 

国道沿いには、サトウキビのプランテーションが続く、ネグロス島の平野部に典型的な風景が広がっている。またココナツやコメも栽培されている。家禽の育成、漁業、陶器生産も行われている。砂糖の集散地・輸出港として栄えたほか、現在では英語を生かしたコールセンターも盛んに設置されている。

「微笑みの街(City of Smiles)」の異名どおり街の気風は親しみやすい。市制施行記念日の10月19日に行われるマスカラ・フェスティバル(MassKara Festival)が盛んであるが、これは砂糖の市場価格が下落しバコロドとネグロス島に飢餓と貧困が襲った1980年から開催されているもので、陰鬱な雰囲気を払拭し「微笑みの街」を取り戻すために始まった祭典である。「マス」は「多数の人々」を、「カラ」はスペイン語の「顔 cara」を意味する語で、「多くの人の微笑み」を意味する造語であった。毎年ダンスパレードや美人コンテスト、物産展、スポーツ大会やコンサートが開催される。

 

収容人員15,500人のパナアド・スタジアム(Panaad Stadium)はパナアド公園に位置し、ユーカリの木に囲まれた陸上競技場・水泳場であり、多くの国際・国内スポーツ大会が開かれる。パナアド公園は4月末から5月はじめまで毎年開かれる「パナアド・サ・ネグロス Panaad sa Negros」の祭典の会場でもある。公園には小さな森林公園があり、ネグロス人の生活、文化、交易史、観光、料理を紹介する場ともなっている。

街の名前である「バコロド」は、イロンゴ語で石の岡を意味する「バコロド bakolod」から来ている。1770年、入植地が石の丘が多い場所(現在のグラナダ Granada 地区周辺)に建設されたのが由来である。

 

ムスリムのモロ人によるスペイン人入植者への攻撃が激しく、特に1787年には大規模な攻撃があったため、バコロド入植地は海岸線に近い現在の場所に移された。かつての入植地は古い町という意味の「ダ=アン・バンワ Da-an Banwa」と呼ばれている。1849年、フィリピン総督は、ネグロス島の知事マヌエル・バルデビエソ・モルケチョ(Manuel Valdevieso Morquecho)を通じ、ヒママイランに代えてバコロドをネグロス州の州都とする命令を出した。

フィリピン革命の時期に起こったバコロドにおける革命の成功は、パナイ島やルソン島でのスペイン植民地軍の敗北続きで地元スペイン人支配層の士気も低かったこと、フアン・アラネタ(Juan Araneta)将軍とアニセト・ラクソン(Aniceto Lacson)将軍の心理作戦に帰せられている。1897年、バコロドの戦いがマタブ=アン川(Matab-ang)で起こった。その一年後、1898年11月5日、ナイフや槍で武装したネグロス人「革命軍」は、椰子の木を削って作ったにせライフルや、黒く塗った筵を丸めただけの偽大砲と同じく黒塗りの椰子の実の偽砲弾で偽装しながらバコロドに進撃し、十分に武装のあった軍政官イシドロ・デ・カストロ大佐の軍を降伏させてしまった。11月6日に降伏文書が署名され、11月7日には革命軍に参加した人々は地方軍事政権を樹立するため集まり、アニセト・ラクソンを大統領に、フアン・アラネタを軍代表に、他の士官たちもしかるべき地位に選出した。これがネグロス革命であり、ネグロス共和国( Provisional Republic of Negros)の成立である。

しかしながら1899年3月、ジェームズ・G・スミス大佐に率いられたアメリカ軍部隊が侵入し首都バコロドを占領し、共和国は崩壊した。

 

アメリカ支配下、フィリピン・コモンウェルス政府は国会でバコロドを市に昇格させる法案を成立させ、1938年10月19日にバコロドは市になった。

 

第二次世界大戦でバコロドは1942年3月21日、日本軍に占領された。アメリカ軍は1945年5月29日にバコロドを奪還している。

バコロド市は丁度いい都市。

フィリピンのマニラ・セブ島は、大都市で有名ですが、ネグロス島北西部の街「Bacolod(バコロド)」は、フィリピンでも最も安全な都市の一つに数えられる田舎町です。刺激を手にして人生に飽きずにメリハリを持たせるためには最適な場所です。バコロドはシュガーケーン(サトウキビ)の名産地としても知られ、また、鶏肉の美味しい街としても有名です。ネグロス島にはシパライ市・ドゥマゲッテ市もあります。

どうぞお越しください。

現地での経験を活かし、長期・短期、個々の有意義な滞在の応援を致します。

楽しく学生達に食事を提供。

バコロド市の有名大学 Carlos Hilado Memorial State College と John B. Lacson Colleges Foundation が近くにあり、昼食時、食堂で食事を提供しております。

日本の弁当・給食を展開、現地のメトロバンク等、銀行、市役所、会社に配達しております。

 

 

完全予約制

日本人スタッフの同行なので、ご安心して滞在出来ます。

フィリピンに滞在されましたら色々な所、有名な観光地から穴場まで案内も出来、全力でサポート、応援致します。

お問い合わせはこちらまで。

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代表 山田清二  Seiji Yamada  (フィリピン在住6年目)

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